絶対は存在しない

まったくもって頼りない善悪の境界線ですが同義語で頼りないに心もとない、心許せないとあるのも分かる気がします。これば同じ出来事でもフレームがかかった脳でみるので「感じの良い人でしたよ、大人しくて優しい人で」と見える人もいれば生理的に嫌悪感を感じてたなら「何だか不気味な人でいた。何を考えているか分からない、えたいの知れない存在でした」と結果から持論を展開します。

ここで展開するのは、ほぼ大多数の善と犯罪を犯した少数の悪の存在です。犯罪者は千に一つ万に一つ億に一つの存在であって異質なものである。と言う前提に立っています。

オレオレ詐欺に引っかかる人間は馬鹿な人間だ私は絶対に引っかからないと多くの人は思っています。でも現実は息子を名乗る今では「古典的」な手法であっても子供を思う親心でまんまと詐欺に引っかかり多額の現金を振り込んでしまうのです。

思考に絶対はあり得ない事で常に同じ価値判断でしているつもりでも感情と言う曖昧なものによって下振れや下振れが起きコンピューターの様な判断があるわけではありません。コンピューターは将棋の対局ではコンピューターの圧勝で囲碁は難しさからしばらくはコンピューターが人間に勝つのは先と思われていたのが、この原稿の時にはいきなり3連勝の話題で囲碁にも人間はコンピューターにかなわない時が来ました。

ブレがある思考はしまいには立場を分からなくしてしまいます。受験勉強であと半年の辛さが耐えられなくなり希望の大学に行けなくなる。社会では楽に儲ける考え等も自分の徳を失うだけです。「あなたがむなしく生きた今日は昨日亡くなった人があれほど願った明日」という名言があります。

人は迷います。しかし健康をみても分かる様に毎日歩かなければならない。食事も好き勝手に偏食はできない。運動も必要と楽よりも苦を選んだ方が健康への選択肢です。善悪でいうなら正直になる基準があります。友人、知人、そして天に向かって嘘をつかない生き方が境界の曖昧な中での一つの方向性でしょう。