正常の基準

脳がニューロンを介して体からの情報を集めてひとつの意識状態を形成している事から脳無くして精神は無い事になります。魂に精神に近い意識レベルの状態が存在すると仮定するなら。脳が無い状態で魂は存在して、交通事故や脳死の状態でも極端な場合頭部を切断した状態でも意識レベルを持っていると論ずるしかありません。

精神と魂とは幽体離脱や生まれ変わりを主張する一部の人を除き一般的には死と連動して同時に失います。その為魂と精神とはあたかも一体と思いがちになりますが分離独立した固有のものでしょう。

脳は意識精神活動の部分のコンピューターであって心の住む場所では無いのです。意識は複雑に脳が活動しているホログラム状態の事でそこに心があると唱える説もありますがそれでは心はアルコール薬物によって変わり脳の外科手術により変わり常時心が心理状態により変化をしている事になります。

しかし人々を見ていると本質があり固定化したものは変わらず、持って生まれた業であり絶対的なものです。

歴史の中で国家が宗教を利用してその統制により国家の体制を維持しようとした為に宗教の違いが国の文化風習や道徳感や物の善悪に対して大きく違います。もし善というのが明白なものであるなら違いは国や宗教の違いはなくても良いのですがまったく善悪が違うのです。

生まれた国は我々は選べませんので、ある国では躾であってもある国では幼児虐待の行為の場合があります。仮に性善説で善を人が行ったとしてもそれは生まれた国の文化風習宗派の教義にすっかりと洗脳されたもので善の行為をしています。そうなると性善説とはいったい何なのか?深く考えると新たな疑問が生まれるのです。

ニューロンとシナプスとアセチルコリンの一連の関係を心と思う人はいないと思います。そもそも認識に大きな違いがあり自己意識が存在するのでポジティブとネガティブの個々のボーダラインに大きな誤差が生まれてしまうのです。

であるならば異常とも思える犯罪者に対して精神鑑定を行い医師はその職務により様々な検知から診断を行いその結果医師が精神異常とは認められないと鑑定士検察側はそれを元に死刑を求刑し裁判の結果求刑通り審議の末死刑判決が確定し死刑執行が行われ、猟奇犯罪者の処刑となるのですが、この犯罪者は精神の問題は正常で心の問題なのでしょうか?

裁判官陪審員皆が正常者では無いと思っていて、ただ犯罪時に「心身喪失状態でなかった、正常判断が可能であった」との見解でしか過ぎません。

その考え方の物差しで考えるとほとんどが正常の状態で犯罪を行い、歪んだ価値観や性癖は異常としての減免の対象とは当たらずに処罰の対象とする司法の判断になります。しかし彼ら彼女らは明らかに病気なのです。正常な生き方考え方を生まれながらまたは生い立ち、または経歴か持つことが出来ないのです。