もともと心は弱いもの

処刑された犯罪者のは心が無かったのでしょうか?犯罪を押しとめる力として働く事ができなかったのは心が無かった又は心が貧しかったからからでは無いと考えて良いと思います。

心の抑止力は弱い物で微力です。宗教の教えでも「罪を犯した罪人は特別な存在では無い、誰でもその状況に立った時にその罪を犯す可能性はある」としています。
ある一人の男が居ましたその人は温厚な性格で誰からも好かれ家族を大切にして人柄の良い人として幸せな生活をしていました。その男に突如不幸が訪れ、工事現場で仕事をしている時に上から鋼鉄の建材が落ちてきて、下で作業していたその男は頭に鉄の棒が突き刺さり病院に搬送されました。

幸い一命を取り止め頭に刺さった鉄の棒を抜き社会復帰する事ができました。ところがその事故をきっかけとして男はまるで人が変わったかの様に人の嫌がる様な事をして婦女子に対して卑猥な言葉を口にするようになり嫌われるような事ばかりをして嫌われ者になったそうです。

海外の事例ですが、この男は心が壊れてしまったのではなく、単に脳が傷つき損傷をして別人になってしまったのです。ここまで特別な事例で無くても老人になってから抑制が効かなくなり怒りっぽくなり些細な事で激高し駅員を傘の先で突いて怪我を負わせ逮捕されたり、家庭内でも今まで温厚だったのが最近は怒りっぽくなり妻を怒鳴り感情的になるケース等があります。

これらは心が無くしたまたは減ったわけではなく脳が正常から異常まではいかないまでも判断能力に低下をする状況になったのです。その事が心は存在しないとの意見もあります。どんな教育や道徳教育を受けても人はキレて瞬間湯沸かし器のごとく感情に支配され理論的な構築や心理学的な自己の状況分析し第三者が見ている様な物の見方ができません。

芸能人の方が有名なお坊さんと一緒にゴルフを回った時にお坊さんがパットを外した際に口を鳴らし「くそう」といかにも俗世の人の形相をしていたのを話されていました。誰でも同じです、どんなに教義を学び修行をしても人は出家をしてもその瞬間には人である以上聖人ではいられないのです。

心はあります、しかし抑止力は微力である事を悟り、だからその心の抑止力を高める努力をしなければなりません。

鶴巻温泉治療院