身体に与えられた情報は感覚器を通り、最終的には中枢神経によって意識されます。しかし、感覚の中で身体の内に起こっている現象を唯一察知出来るのが内臓感覚です。
この内臓の入り口と出口に有るのが味覚と尿意や便意で、これらの感覚は鮮明に意識出来ますが、内臓の中で起こっている不快さはかなり曖昧になってしまいます。
形態解剖学の三木成夫先生は「内臓の感覚は脳と連繋は一般にぼやけ、従って、そこに起こる全ての出来事は肉体の奥底に蟲く無明の情感として、ただそこはかと無く意識の表に姿を現わすに留まる。
内臓の不快が思考の不快に化けるゆえんは、ここに有るのではなかろうか」と述べています。三木先生は内臓感覚を鍛える事が豊かな情感や思考を生み、生命の営みを察知出来る重要な感覚であると力説しました。
その為に口腔感覚の練磨を提唱しました。つまりまだ原初的な生命の尻尾を持った乳児の時期に「舐め回し」や「母乳の吸引」をする事で内臓感覚は豊かになると言っています。
やたら清潔になり過ぎて舐め回しという行為を子供から奪う事は、腸管リンパ系を無し崩しに骨抜きにする事であり、恐ろしい去勢の行為と知らねばならないとまで断じています。
古来より東洋医学では内臓とあらゆる感覚が結ばれているとされてきました。現在の針灸の経絡理論も五行説も体表から内臓のバランスを整えると言う考え方に立脚しています。
人間は普段の生活の申で無意識の内に内臓感覚の実感をより深く認識しているのです。
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