精神と哲学

脳が肉体であるなら精神は心なのか?の問いにはそれぞれの専門的な知識を持った人は違った見解をもって統一見解とはならないのです。精神は脳の活動状況を示す。精神とはエネルギーである。精神とは魂の事である。精神とは意識の事である。精神とはパワーをだせる力を持っている。等々の精神が広義の概念である由縁です。

精神の概念が人が気づいたのは歴史家ブルーノ・スネル著『精神の発見』によると紀元前9世紀時代のギリシャ人は自分たちに思考や感情があると言う事すら気が付いていなかったそうで個人が決定権をもった自我の存在に気づかずに私は存在していなかったのです。すべては霊魂のが行い、あらかじめ決まっている事を実行している事で未来予測もまた先も決まっている事になります。

ですのでメソポタミアや古代ヘブライ文明は霊魂の力は絶大な力を持ちすべてを神託に仰いでいたのです。紀元前600年になって仏教文明の中にまた道教の中に意識という考え方がようやくできてきます。それからギリシャ哲学等精神の探求が続き人の心理とかについて発展していきます。

古代の人々の精神の研究はまだ医学的科学力が不足して推測や推理を多くしてもその研究である検証が科学的に証明できないのに弱点があり、コンピューターや化学機材なども有る筈も無く哲学的な考えにならざるを得ず正か誤かなど論じ逆もまた真なりと先天のものか後天のものか天賦のものかと複雑な迷宮に入るだけの世界になってしまうのです。

ここで明確にしたのがキリスト教でヨーロッパの発展大航海時代とともに全世界がキリスト教に影響を受けます。少なくとも当時の文明国はキリスト教を国教とした時代がありました。キリスト教では精神と魂は同一に近くは実態のない物で魂は肉体を離れて天国に行き不死になると決めてしまったのです。

教会の教えが世間に広まり価値観が浸透していきますが、ここでこの時代に生まれた哲学者達はまた教会の教えとは違った持論を展開して行く事になります。

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