養生という言葉は道教の神仙術の養生法から生まれましたが、この神仙術では呼吸を養生の要として考えています。
「胎息」「服気」「行気」「錬気」などの呼吸の技法があり、全てを包摂して「調息」と呼んでいます。
そして、呼吸して身体に流れるものが「気」であり、それは「内気」と「外気」に分けています。
内気は元々母親の体内から臍帯を経て胎児に充満していく呼吸をいい、「胎息」といいます。
ですから、神仙術では「臍」を大切にしているのもこの「胎息」があるからです。
また「外気」とは、体外にある気の事になります。
調息の中の「服気」は「内気」を飲み込む事で、普通の呼吸で一緒に出て行きそうな内気を三つの丹田に満たす呼吸法です。
その丹田の内気を自分の望む体の部分に到達させる技が「行気」です。「錬気」は行気とは逆に体の内気を自由に流れに任せるやり方です。
そして道教では、外気を鼻から吸いこみ口から吐き出す普通の呼吸を、気が鼻から腎臓に下りて行き、五臓と六腑を巡るといいます。
ところが、修練していない普通の人々は関所の源(関元)を通り抜ける事ができないので、気はそこで止まってしまう、といいます。
そこで養生の修練で関所に気を通し、臍下三寸にある下丹田、もしくは「気の海」(気海)にそれを導くようにする事が、外気を巡らす術になるのです。
この修練をする時には、宇宙が空気を吸う時の時間である「生気」でやるべきで、宇宙が空気を吐く時の「死気」の時間には修行してはならないと書かれています。
この生気と死気の時間については2つの説に分かれるところです。
昼間を死気、夜を生気という説と真夜中から正午まで生気で死気は正午から真夜中までとする説です。
ですから、日の出の直前はどちらの説でも生気の時間内であり、日没も生気に入れるかどうかが意見の分かれるところです。
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