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「Experience(経験)」「Expertise(専門性)」「Authoritativeness(権威性)」「Trustworthiness(信頼性)」

 

「Experience(経験)」

小学生の4年生位になると両親が共稼ぎだったため家にある本を読んでいました。その中に浪越徳次郎の本がありました。当時は浪越徳次郎先生は有名な方で「指圧の心母こころ押せば命の泉湧く  ハッ ハッ ハッ」とテレビに出ては決めセリフを言うのが決まりでした。

家に2冊浪越徳次郎さんの本がありどこを押せばよいとか等書いてあり芸能人を施術したり、マリリンモンローを施術したり多くの有名人をみた事が書いてあり、これを読みながら将来何になったら良いかが決まってきました。

そこから健康オタクになり健康雑誌や健康本を小遣いで買い中学生でまったくの健康体でありながら中高年の雑誌「壮快」を買っていました。当時はまだ月刊誌ではなく年に数回でる本だったと思います。

健康になるというのは何でも試しました。紅茶キノコや酢大豆や、ぶらさかり健康器などをやって健康になれると思っていました。

大学にスポーツ特待生で入学して学園グループ多くの学校を経営しているのを知りその中に「柔道整復専門学校」がある事をしりました。

柔道整復師になれる学校で柔道整復師になれば人に対して健康を提供して自分も健康をひたすら追い求める事ができるとその時はぬか喜びしました。

しかし私は特待生であったのに、図々しい発想であった事に気がつかなかったのです。
部の監督に「柔道整復専門学校」に行かせてくださいとお願いすると、何わけの分からない事をお前は言ってるのか?と。授業料免除で無試験の好条件で入学しているのに図々しい考えでした。入学するなら大学を辞めて入学するしかない事を知りました。

授業料入学金免除で寮費はゼロで育英会奨学金をもらっていた貧乏学生が専門学校の入学など出来るはずがなかったのです。

しかたなくその場は諦め、部活が終わって夜にアルバイトで駅近くの整骨院に働き始めました。1976年、18歳(48年前)にして初めてこの治療業界に入りました。当時は湿布を作ったり、施術を受ける方々に電気や光線を当てたりしていました。

働いて自分でお金を貯めて柔道整復専門学校に入学することを決めましたが、すでに4年生の夏になっていて就職先などもうどこもありません。そこでゼミの先生に相談したところ、「君のような正義感の強い人間は警察官が向いている」とのアドバイスから警視庁警察官募集を調べて試験を受けて合格しました。

警察官になり、警察学校に入りました。1年間の学校生活では特待生として体力が高かったため、他の生徒よりも運動能力が高いと評され、みんなで走らされる校庭(学校では「トラック」と呼んでいましたが、字を忘れました)での1500m走も、体力検定1級の私はそこまで辛いとは感じませんでした。寮生活で色々なことを学び、1年後に警察署に配属されました。

警察署では体力を活かして盗犯検挙の記録を作り、1年半後には刑事講習(刑事になるための講習)を受けて最短で留置場係になりました。元々働いて稼ぐことが目標であったため、上司に警察を辞めることを話しましたが、「お前のような人間が警察官をやらなくて誰がやるんだ」と説得され、両親の家まで来られて諦めることになりました。

その後、移動人事で私のことを思う身近な人も消え、当時の係長であった人に辞めたい旨を伝えたところ、すんなりと退職することができました。(在籍期間は4年でしたが、それを差し引いて)私は施術家歴44年となりました。

その前に、東京の四谷のはりきゅうマッサージ科本科(昼間部)の試験に合格し、退職を申し出ていましたので、1988年にはりきゅうマッサージ科本科(昼間部)に入学しました。ここで強調しておきたいのは、当時「四谷本科」は業界で名の通った名門校であったということです。

しかしながら、時代は変化していきます。最高裁判所の判決により、1998年から養成学校の乱立が始まり需要と供給が崩れて今ではコンビニの数を遥かに上回る施術院があります。多くの学校が定員割れを起こして誰でも入れるようになりました。

その後、薬店勤務をして当時難関だった「薬種商」資格を取得し、鍼灸・マッサージ・漢方の勉強をしました。

そして、当時の鍼灸あん摩マッサージの学校は3年制でしたが、2年目にマッサージの資格を取得し、マッサージ師としての資格を得ました。それから病院勤務になり、最初に「小倉病院」という病院に就職しました。小倉病院では理学療法室で働いていましたが、たまたま放射線技師が鍼灸師でもあり、CTでの人体の投影で鍼の刺入角度や深さのレベルなどを共有でき、勉強になりました。

その後私は荒川名倉病院に勉強の為転職をしました。私は整形外科の名門である「名倉病院」で様々なことを学びました。当時は、「荒川名倉病院」「鳥居整形」という二つの整形外科が特別な存在でした。

現在の柔道整復師は、病院で理学療法の勉強をする程度であり、昔ほど広範囲な医療知識を病院で学ぶことができません。これも若い柔道整復師と昔の柔道整復師との大きな違いです。

荒川名倉病院を退職した後、私は1992年に新宿区神楽坂に「からだハウス整骨院」を開業し、翌年には有限会社からだハウスを法人登記しました。

開業後は、あれよあれよという間に地域で1日の患者数が120人前後となり、時には150人にも達しました。しかし、それに伴いスタッフは疲弊し、電車では疲労がたまり、立っているうちに眠ってしまうこともありました。

 

「Expertise(専門性)」

私ほど多くの資格を持った先生は少なく、神楽坂時代にセミナーに参加して名刺交換すると名刺には「薬種商・鍼灸マッサージ師・柔道整復師」と代表的な資格だけは名前の横に書いておきましたが、先生方から「よく資格を取りましたね」と言われたものです。

「薬種商」資格は旧薬事法にあった資格で年に1回の試験で神奈川県では合格者年に2人とかゼロの年もあり、当時は意図的合格者を出させないような政策でしたので、全国でも難しい資格試験でした。

これを作成している(2024/04/11)の前日に治療院の横にある薬店の店舗販売業の免許の更新で平塚保険事務所秦野センターの薬事担当の方が検査の為来店しました。(当時の薬種商試験の難しい事は伺っております)と話していました。本当に難しい試験でした。

しかし新薬事法になり新しい資格「登録販売者」の資格が新設され2023/11/21 — 神奈川県試験結果. 【結果概要】. 出願者数, 3,501人. 受験者数, 2,881人. 合格者数, 1,369人. 合格率, 47.5%. が県のホームページから引用しましたが、ずいぶんと簡単な試験になり、ドラッグストアに勤めるバートのおばさんでも、パートの時給アップの為に取るようなレベルから考えると、現行の薬事制度は簡単過ぎて問題ですがこれも国策からなるセルフメディケーション政策ですので時代を受け入れるしかありません。

テクニックに関してどん欲に履修をしましたのでやテクニカルな事は誰よりも自信があります。高齢者の身体を知る事からも「介護福祉士試験」を受けて「介護福祉士」資格を取り「介護支援専門員」俗に言うケアマネジャー試験を受けてケアマネジャー資格を取るなども多くの専門資格を取得しています。

 

 

「Authoritativeness(権威性)」

私の自信はSOTクラニアルの脳脊髄液の流れを理解できている点です。これを第1次呼吸メカニズムと呼びます。ほとんどの先生は頭蓋骨の動きを理解できずに教本通りに「アンワインディングテクニック」筋膜リリースのテクニックの一つで、筋膜の動きをその動く方向に追いかけていき、最終的に開放へ導くテクニック「頭蓋オステオパシー」非常に軽い圧で頭蓋骨に触れ頭蓋の動きを感じ、体または頭蓋のどこに問題があるか判断し調整を行いますが、ほぼ全員の施術側が頭蓋骨の動きと脳脊髄液の流れを理解できていません。

その為頭蓋オステオパシー(オステオパシーの中でも非常に高度な解剖学知識と技術を必要とします。)と昔も今も難しいです。脳脊髄液の流れを理解していると言っている人は、まず本人が大噓つきか自分の指先の拍動だとか相手の心拍数や呼吸等多くの感じ取られるものを第1次呼吸メカニズムと勘違いしています。

その為素晴らしいテクニック手技療法と言われ続けていながら、ほとんどの先生はできないので、クラニアルを施術の現場で活用している施術家は少ないです。また変化を出せないので、患者さんに行っても患者さんが何をしているのかがさっぱり理解できずに、筋膜リリース等の受けて側の満足度(やってもらった感が高い手技)などをする一般の整体師が多いです。

単に気持ちいいだけの満足をさせる事に専念している整体院がほとんどです。

当院は全員にクラニアルを行います。そして変化を感じてもらっています。当院のクラニアルは宮野治療院:宮野博隆先生に学びました。国際的にもクラニアルでは有名な先生です。私がまだ30代の頃、私のお客様が宮野先生にみていたいただいたそうで、私の施術を受ける際に治療院で「先生って凄い人なんすねーあの宮野先生がSOTクラニアルで日本で10本の指の中に溝口先生が入ると言ってましたよ」と話してくれました。多少のリップサービスもあるかもしれませんが、あの宮野先生からお褒めの言葉を頂いて恐縮です。

あれから30年頭蓋骨を触り感じ続けて研鑽を続けてきましたのでSOTクラニアルには自信があります。若い頃セミナー参加してセミナールーム内での宮野先生のデモンストレーションで驚いた私が、普通にデモンストレーションをみせられるようになったのです。

 

「Trustworthiness(信頼性)」

Experienceでも述べたように新規開業でもなく長きに渡って住居兼店舗開業をしてきましたので信頼性があります。神楽坂時代から鶴巻温泉に越して鶴巻温泉治療院を開業しましたが、鶴巻温泉には先に「佐藤治療院」「稲葉整骨院」がありましたが2名とも亡くなってしまいましたので、私が一番の長い歴史のある治療院となりました。

鶴巻温泉治療院