神奈川の鶴巻温泉治療院は医師も推薦する気功治療院です。

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人生

生老病死の中で人は悩みを持ったり自分を他人との比較をしたりします。比較は自分との対象で自分よりも上を比較の対象にして比較するのが通例です。ですので比較し始めた時点で自分は不幸と感じはじめたりします。今回はその価値観や評価とは何かについて論じてみたいと思います。

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bc52ea03af90a9e8634d579a57b30561_s.jpg個人には理想とする自分の位置や経済的な状況他人から受けている評価等の漫然とした定位置があり、それよりも現状況が下回っていたり、他人からの評価が下回っていたりするとストレスや挫折感、怒りや、落ち込み自己否定等に発展します。

比較対象のレベルは流動するものですので例え一時的に目標に到達してもそこからの比較がはじまるのでまた同じ状況が始まります。それを乗り越えたとしても比較は固定ではないので常にズトレスを感じ続ける事になるのです。

理想とは何でしょうか?不完全を理想とする人は少ないです。月の絵を書いても通常満月を書き光々とした月をイメージします。太陽も強い日差しで力強い太陽をイメージします。でも現実は満月は1日しか存在せず後は新月に向かって欠け始める事を繰り返しているのです。

その事は教科の学習や大人になる過程で知ってはいてもなぜか、その固定観念は身に付いたままイメージはあり続け三日月の月は頭の中にイメージできても上弦の月下弦の月までは選択肢に無く太陽も頭上に昇り輝くイメージしか存在しません。

固定観念はどうしてうまれるのでしょうか?規定事実のごとく刻み込まれている事は多くあります。改めて自分の価値判断に再評価をしなければなりません。

人間関係で悩みはありがちな話ですが、どんな賢者に相談をしたとしても相談相手である賢者自体が100%他人から好かれる事は出来ません。100%を目指して90%が落ち着く所ではないでしょうか?好感度芸能人ランキング1位の方であっても「あの人嫌い」と思っている人は大勢います。

人は本来他人から嫌われたくないので好かれよう愛されたいと思い考えならら行動して、この現実があります。イエスでさえその存在にたいして不快に思い抹殺を思い立った者達がいるのが現実なのです。

几帳面な貴方が相手に対して思いやりや心使いをしてもその意に反して裏切りや意としない行動に仮に出たとしてもごく普通の事なのです。

icon149.gif49879d413c8aae6371e9fe381656d436_s.jpg地球に多くの生物が住み生まれていきますが、それでは地球上に生物だらけになってしまいます。

生まれた人もいればその分老いて行く人もいてそして死んで行く人も大勢います。物質量としては形が違えど変わっていないので変化をしているだけだとも言えます。

地球という単位での規模でしか無いので酸素を人間が多く消費すればその分二酸化炭素の排出で二酸化炭素が大気中に比率が高くなり未来には大変な事になる事は想像できます。

汚染物質の環境破壊は確実に進行します。汚染物質増大と同じ規模でこの地球が増大し続けない限り現状と同じではありえないのです。

共同体であり一つがすべてに影響して関係し合っています。これは一人の人間も同じで自分の行動が例え周りに誰も居ないと思っても間接的な影響を与え自分に影響を与える環境なり出来事になって帰ってきます。

人だけでなく植物や土や石までも同じです。植物はお茶やコーヒ等と同じ扱いの買い物で嗜好品扱いの出費にしていますが、実際は植物はそれ以上に心が癒され、我々に力や活力や元気を与えてくれます。

土も同じです家庭菜園等で土に触れて自然を感じ癒されます。石も多くの宝石やパワーストンに魅力や力を感じますがこれは石に力が備わっているからで、だから多くの人々が石を求めお金を払っているのです。

無機と有機の区別も実際は無く人が死んで気体の一部になり土になり化石になり変化していきます。


人、動物、物質から我々は影響を受けまたその逆もあって影響を与えています。自分に悪影響を与える人がいたとしても敵討ちはいけません。必ず共同体の中の出来事だと思い自分に帰ってくる事だと考えてみて目には目をの考えや行動をしてはいけません。

自分が怒りの炎を出しても損をするだけです。

icon150.gifcd5ace0fe497b2d6fe77581912ba7008_s.jpgよく人生で二者選択の機会がテーマになる事があります。

数年後になってAを選択したけどBを選択しておけば良かった。

Aを選択したばかりに今はこの様な目にあっていると現在の境遇は選択肢の誤りにあると中年になって老人になってからも思い続ける人がいます。

しかし本当にそうでしょうか?私はAを選んでもBを選んでも現状はほとんど変わらないと考えています。その人のその時の考え方人生観が決めている事なので、AとBでは一見まったく違う物の様に見えますがその枝の方向性は同じ方向に向いているのです。まったく違う180度違う選択肢ではなく同一方向に向かっているのです。

本を読むのにもミステリーが好きな人が純文学の本とどちらを買おうか迷ったり、ゲームソフトを買うのもシューティングゲームをいつも購入している人がロールプレイングとで迷ったりしているのでは無く、恋人もAとBでは一見まったく違う様に思えても自分の活動範囲は同じであり学歴や教養も同じであり続けるから若い時にはまったく違う女性や男性に見えたとしても老婆や老人になっていった先は同じだといえます。

選択は選ぶ側の心の価値観であり別の人はCとDとの選択に悩んでいるのです。自分の心の価値観に対して相手も共鳴します。よく結婚相手の理想で「同じ価値観の人」とした理想の人をあげますが心が共鳴しているのです。その為夫婦は一見水と油と思える夫婦であっても似たもの夫婦なのです。

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be063ac63ca6e766c14e03f09def9001_s.jpg気功はタオの理論であって、無常とは仏教の根幹の考え方です。

『無常』とはお釈迦様がこの世は無常であるとして同じ状態がこの先必ず続か無い、必ず変化するものだとしています。今が人生悪い状態で病気をしていたり、受験に失敗したり、失業等の境地にあったとしても、その状態が永遠に続くわけでは無いので気をもっと楽に持って時期が来て良い事が訪れるから安心してください。

逆に今仕事や家族が健康で幸せな状態にある方であっても仮に家族に重い病気や死別になったとしても、どうしてと思い悩む事もせず「この世は無常」であり良い状態が明日も良いとは限らず永遠に運気が続くとは限らないのです。

隣のおばあさんは毎日早起きをして体操をしている、自分は何もしていないけど同い年の老女だとして先に隣の人が亡くなってしまったとか、よくある話です。自分よりも先に子供に先立たれたり、死にはまったくルールが存在しません。

己は天命によりあらかじめ決まって死もある程度決まっていると仏教では考えます。天命に無常も支配されています。

タオの考え方も大極図の様に陰極まれば陽になり陽極まれば陰になる陽中の陰、陰中の陽と変化を唱えています。この部分はお釈迦様の考えと同じであります。

その他の考えにはタオは宗教と違いがあり相違点が多くあります。お釈迦様は出家した者はセックスを欲望と考えて禁じお坊さんは生涯結婚してはいけないと説きました。これでは困るので、その後のお坊さんがお釈迦様の教えを変えて結婚しても良いとして複数の女性を持ったお坊さんも出て来てお釈迦様の考え方から外れて行きました。

タオはセックスは欲望の考えとせず男女の気の交流と考えて気の功法のひとつとしたのです。仏教の考えは信仰で信じて願う事が根本であるのにタオは感じ取る事で大地からの気を感じ取り、天空の気を感じ取り、男女の性愛のエネルギーを感じ取るといった「気」を感じ取る事でその点が宗教とも違う点です。

多くの部分に違いがありますが同じ状態が続かないとの考え方に同じ点があります。

icon152.gif私が18歳で治療院に入って見習いの真似事の様な事をしてた時はお年寄りは皆さん明治生まれか大正生まれでした。

自分も年を取りお年寄りがいつの間にか昭和生まれになり時の流れを感じています。お年寄りの方と接してきて皆さん心の中では「死にたくない」と大多数の方は思っています。

私の父も毎日の深酒で64歳で肝臓がんで亡くなりましたが、「死んだってかまわない」と口では言ってましたが母からの口によると「死にたくなかったみたいよ」と死ぬでの経過を見ていてた母が言っていました。

お年寄りの方で同級生や同年代の知人や友人が毎年一人一人どころか数人単位で亡くなっていくのを伝わり、どうしても自分も明日は自分かもしれないとのなんとも言えない気分になると本心を言っていました。

しかし死は先に子供や孫が先立たれる「逆縁」もある様に一律に年齢順年代順に死んで行くとは限りません。(仏教用語の逆縁は色んな語彙の使われ方があります)

自分が死ぬ事も辛いですが逆縁は残った親はもっと辛い心情があります。人は死にたくない病気になったら治りたい例え1日でも良いから長生きをしたいのが人間の本心です。

法華経では人を殺してはいけない人を傷つけてはいけないとありいかに死が重いかを説いてます。現在は仏教は葬式仏教になりましたがお釈迦様は葬式に関して一切語らずこの現世をいかに生きるかを説いて回ったのです。自分のお墓とか葬式は一切するなと弟子たちに伝えました。

天台宗比叡山中尊寺の伝教大師も自分の死の為にお経をあげるなと言い残したそうです。曹洞宗の道元も死ぬときに葬式をするな大切なのは生きる事だと伝えました。一遍上人も死ぬときに自分の死体は川に投げ捨てよと言ったそうです。親鸞聖人が死ぬときも野に捨てよ川に捨てよと言ったそうです。そして獣や魚のえさにせよと言ったそうです。曹洞宗道元は父母の恩は忘れてはならないが葬式や法事等はやる必要が無いと言っています。

なので本来は仏教は来世に期待するものではなく今をどう生きるかが創生期の根本思想なのです。お釈迦様は自分が死ぬ時も「この世は無常で生ある物は滅びるのは世の道理である」と言って死にました。自分の死もこの道理を身をもって示すものだとしました。鍛冶屋の純陀の作ったキノコ入りの豚の料理が当たって下痢が続き血便が出て死にましたが、純陀は善意のための食事を作った貧民でしたので仏教では純陀を責めたりしません。死はいずれにしろやって来るものなのです。


キリストもお釈迦様も誕生は奇跡と言う名の装飾されてあり得ない誕生の仕方をしていますが死ぬときは普通の死に方をしています。これは死ぬときは皆一緒で金持ちや貧乏人賢者やそうでない人も死ぬときは平等なのを示しています。

お釈迦様ほどの人なので火葬されてインドのクシナガラに埋葬されたそうで四大整地のひとつにされています。ルンビニー生まれた所・ブツダガヤ悟った所・サールナート初めて説法をした所・クシーナガラー火葬した所

日本の葬式仏教は江戸時代に檀家制度が出来てからの事でそれまでは庶民にはその様な風習はありませんでした。葬式やお墓が金儲けの手段になってしまたのです。

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運は気で引き寄せるものです。運も気なので気を引き寄せるイメージを持ってください。あらかじめどうせやっても駄目だと思い行動するのと成功すると思って行動するのでは行動に意の入り方が違ってきます。それが結果にも繋がってきます。

運気を持っている人は宝くじが当たると思っていて、道を歩いていてもこの曲がり角を曲がると美女に会うと自分が念じれば可能だと本気で信じているそうです。ポジティブエネルギーはまずはポジティブイメージを持たなければ生まれません。今までの人生経験で多くの人はマイナスの学習効果をたっぷりと経験しているので、どうしてもポジティブ思考にしなければと思っても過去の経験からポジティブになれません。過去の学習はマイナスのエネルギーに満ちています。
そうしたものは全部捨て去って未来に運がふんだんに転がっているのです。

それとマイナス思考の人には近づかないで下さい。貴方の大切な運気を失うだけです。

それと毎日笑顔で過ごす事です。最近笑顔でいる人の方が長寿であるとの発表がありましたが、当然の事です。アメリカ・カリフォルニア大学バークレー校が30年に渡って調査した結果によると卒業アルバムで笑顔で写っていた人ほど後の人生で成功や幸せな結婚生活を送っている率が高いそうです。

アメリカ・ウエインステインド大学で1950年代のメジャーリーグ選手のブロマイド写真を調べた結果笑顔で写っている写真の人の方が8歳近くも長生きしたそうである。

京都大学の研究によれば人の顔写真と名前を見せたところ笑顔の人の方が真顔の人よりも覚えてもらう率が明らかに高かったそうです。

笑顔は謝明徳マンタク・チャも勧めています。他人からの好感度を上げる為より、自分の徳を上げる為で笑顔が似合わなくて構わない、実際に笑顔が似合う顔立ちの人もいれば似合わないお顔立ちの人もいます。

しかし徳を高める柔和な心は顔と連動するのです。ジャームス・スキナーは「難しい相手などいない。柔軟性の足りない自分がいるだけだ。」と言います。対話は対決ではありません。

こちらが顔をほころばせ、液体の様に自在に形を変えるしかないのです。
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