神奈川の鶴巻温泉治療院は医師も推薦する気功治療院です。

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死について

確実な事実は誰でも死ぬことがあることです。それを普段は忘れてるかのように身体を酷使していたり不養生をして確実な事実により近くなる生活をしている民衆がいます。死は避けて通れない真実なのでこの事についてお話ししましょう。

icon89.gif9db862d2ec5bb89d563cd681a7cb6ac7_s.jpg精神作用だけで肉体的な作用を一切行わないで人を殺す事ができるという有名な実験の話があります。

アメリカである死刑囚に、死刑を行う事を宣告しました。やり方は血液を抜く事で出血死の方法であると説明をあらかじめしたのです。腕の一部に刺してそこにお湯を注ぎ出血が始まったかのように思わせたのです。そこでこれ以上出血したら人間は生きていられないと告げたらすぐに死亡したお話しです。

この他にも死刑囚の下に桶を置きメスを当てぼたぼたと血液が体から落ちる音をさせて血液が下に落ちて行く音をさせる死刑執行のやり方を説明して音を立てて血液が下に落ちる事を知らせる事で死亡した実験もあります。実際はメスを当てただけで切ってはいなかったのです。桶に水が落ちるように細工してあっただけでしたが死んだのです。

戦争で負傷した兵士に対して重症だと伝えるとその場で死ぬが軽症だと伝えるとしばらく生きている。負傷の程度と残り時間とは比例しないのです。

我々は永遠の命は持ち合わせていないが、自分自身で期間をきめて期間限定に限り命の長さをコントロールできる能力を持っています。多くの死者は誕生日に影響をうけ誕生日の3ヶ月の範囲で亡くなる統計があります。本来であれば12ヶ月が均等であるか寒暖の差が激しい冬に肉体的な負荷がかかる時期に偏りなら説明ができるのですが、がんの場合などはあと数ヶ月先に自分の誕生日があるとその日まで生きる力を振り絞り誕生日を過ぎてから亡くなる事になる。

命の長さにお話しをします。老人学の研究者ケン・ディルトワルドが調査したところ「何歳まで生きたいか?」の質問に大部分は「60~65歳」と答えたしかし60~65歳の年齢のグループではもっと行きたいと考えるしかも年を取ればとるほどもっと生きたいと思うようになり、その傾向は男性より女性の方が強いのである。

この事は何を意味するかと言うと自分の一生に対して全部の責任を負いたがらず楽しい部分遊んだり、セックスをしたり、自立の部分だけで生きる事を考えている事になるそうです。自分を愛していつも体を大切に気づかいしながら生きていない人は命とひきかえに一切の責任を回避しているのです。

命の長さに視点が向いていないが原因だと思われます。現実にがんを宣告され残りの余命期間を宣告されたり、年を取り死の足音が聞こえ始めてから自分は不死身ではなかったのだと知ってはいたのですが再認識が始まるのです。

すると病気に加えて心の負荷によって殺される事になっていくのです。実際「精神身体医学」では肉体の病気で入院している患者の70%は精神的な原因によると言われています。そうなると現在病気で苦しんでいる人は更に悪化して最終的にはアメリカの死刑囚の様になって死んでいくのです。

本人は病死と思い病気がなければもっと生きられたと思い無念の気持ちやあきらめの気持ちを抱いて死んで行ってるのですが現実は感情が痛みを増幅させ悪化させ勝手に死期は今だと思い込ませて死んでいるだけなのにです。

icon90.gif
7233b48fe2205ea74da9464d244c74e5_s.jpg日野原重明先生も100歳を超えて今は104歳になられました。聖路加病院院長を長年されて今は聖路加国際メディカルセンター理事長をされています。

日野原先生はこうおっしゃられています。『かぜはごく普通の病気だが、かぜよりももっと普通なのは終末の段階だ』と語られています。

死は誰でも迎える事なんですよと言っているのです。それなのにどうして考えないのかとも言っています。聖マリアンナ病院の看護学部長の言葉に『朝がきて夜が来る当たり前の事だが死も同じで何も悲しむ必要が無い』とのお言葉があります。表現は違いますが避けて通れない道であるのです。

死の恐怖は何でしょう?心の恐怖です。死ぬ時には当然重篤の状態に陥っています。肩で息をして呼吸が苦しいかもしれません。痛みが全身にあるかもしれません。しかし体の痛みは体が朽ちて行くだけのもので離れるまでの一時のものです。多くの地球の生命体が生まれ死んで行ってます。それは貴方を例外にはさせません。宇宙で生命体は平等に死を与えているのです。

今は体に気が入った状態ですが、やがてはは生命体が朽ちて行くときに気が肉体を離れてまた気の一つとしての宇宙の還流の一部分としての役割が始まるのです。

帯津三敬病院の帯津良一先生は仏教徒らしく死んだら天国に行って・・とあちらの世界に人間の服を来て天国の世界があるとしています。極楽の信仰です。

『私は皆さんに気を感じていただきたい』気を感じればすべてこの地球上の物は気があり気で成り立っている宇宙の物だと理解しだします。

見た事も無い天国を信じ教えの流派に沿った信仰をしてお経やお布施をしているのを信仰の当然のようになっていますが、私が40年以上の治療人生で多くの信仰をしている人と接してきましたが、神と逢った人はいません。その教えを説いた宗派の創立者を崇拝して願い続けているだけなのです。

私は宗教に対して否定も肯定もしませんが、余りにも信じるに当たっての決まり事が多い気がします。そして死ぬときに本当に天国に行けると安らかな死を迎えているのでしょうか?

私が気功を今の様になる遠回りした事を今の宗教はそっくりそのまま遠回りしているだけの気がします。理論が宗教になっているのです。

この私がやり方やその哲学などの型ばかりに気を取られて実際に気を感じ取る事がこの事によって長年出来なかった失敗があります。実際に実体験が無くただ教えを信じて人生の重篤な状態になった時に真の安らぎは待っているのでしょうか?過去の神とされる人物を崇拝してその教えを守るやり方は「気」と言う一番大切な部分を忘れています。

気を知って感じだせばこの地球の気の一部分であり共同体との共鳴を感じます。今の身体は一時乗り合わせたタクシーですまたあなたは別のタクシーに乗り合わせる時がやがていつかは回ってきます。あなたが今気を正しい身分にしていくならば、次の生命は根っからの人の良い仕事も家庭も上手くいく良縁に恵まれて幸せな運のいい人間の手助けをする形になります。

icon91.gif55c15546a779f60b2854b3d48becd0fe_s.jpgキリスト教でメシアが「時は来た!貴方達は救われる人たちです。選ばれた人達なのです」と民衆に声をかけました。今貧困である。病気で死にかけている人を救いに来たとしてイエスは説いたのです。

当時裕福な人や経済的な困難が無い人に私は神ですと言ってもついて来てくれません。当然貧困にあえいでいた民衆や死を待つ病気の物に対して信仰を持ちなさい選ばれた人ですと説法を説くでしょう。

この入信は今も昔と変わらすに人生に何の不満も無く楽しい人生の方は宗教の門を他からのよほどの強い誘いが無い限りくぐらないでしょう。なぜならとにかく信じなければならないからです。信じる事で人生が良い方向に方向性が変わるまたは極楽での生活が待っているとのこれまた来世の期待を信じる事から始めなければならないからです。

私が何でも構いませんが信仰をしている方のお話しを伺うと昔の苦労話と入信がセットになっているのがほとんどです。

その点神がいると信じなくても気功は要件ではありません。『感じるだけです』感じてくると感じ方が次第に強くなってきます。宗派そのものが無いので他の宗教を否定したり攻撃もありません。気を使って様々な人生の難問を乗り越えて最後は天命を全うする時も苦しみません。気には苦しみはありません。肉体が苦しんでいるだけです。

宗教で職をしている方で「私達は教義の伝道者なので神とも違うし人間なので一般人と同じで過ちをしている」としてました。それならば例え一般人でなんらの信仰をしないでもひたすら気を邪気から離れた清らかな水の様に錬功する方が人生のプラスになるのではないでしょうか?

icon92.gif3057c8e63853e765ae26650f9cfd4183_s.jpg負のエネルギーについて説明します。人はアクション俳優のジャッキーチェンの様な体を張る仕事をしているわけではないので、ほとんどが仕事上や家族などの人間関係上のストレスを受けています。

仮に自分が誰かから心ない言葉を受けたとします。それが妻であったり夫であったり、どうも馬が合わない職場の人間であったりします。その時に選択肢は口論か我慢をする事が多いでしょう。いちいち戦闘的な対応では職場関係家族関係が持ちませんから大人の対応をするのが普通です。

その我慢はどこに行くのでしょうか、づっとくすぶり続けて心を冷やし固くし続けるのです。要は継続してイライラし続ける事になるのです。相手から発した言葉は一言二言の数秒なのに、その影響は言われた数秒で終わらずに何時間何日と続くのです。気質にもよりますが思い返しては年の単位で根に持つ人までいます。そのイライラのくすぶりは一見相手に向いているようですが自分自身の身体の破壊を思うたびに続きます。身近な所では胃潰瘍や胆嚢炎は精神的な苦悩が原因とまで言われています。

夫婦喧嘩でよく女性がキレた時にその時の喧嘩の原因とはまったく関係の無い今までの不満を持ち出して次から次と夫としては今夏の喧嘩の原因と違う事とまくしたてられるといった夫婦喧嘩のケースがあります。


夫は何年も前の話でも妻はしっかりと不満をしまっておいただけなのです。負のエネルギーはよく忘れるようにした方がいいといいますが忘れられますでしょうか?意識すればするほど思い返した形になり過去からまるで今の出来事のように鮮やかな記憶と化します。

ほとんどのケースで言葉を発した本人はわすれている場合が多く3年がかりで相手に負のエネルギーを植え付けるようと思っている人はありません。ただ時々思いついた言葉を口にしているだけでしかありません。

負のエネルーは内部からの破壊を起こすだけなので気功により取り去ってください。私の場合水に変換する気功をしています。どんな人間でも神に近い存在の人でも否定する人は必要です。真っ向から対立する意見があってそれを受け入れるのです。

でなければ仮にある信仰の教祖様だったとします。その信者取り巻きが教祖に対してすべて教祖の言う通りだとしたら従う者ばかりの集団で、その教祖には抑える者が無くなり暴走が始まります。自分の意見が正しいと全てが正しいと思うのです。

社会的な地位があり地位も名誉も得た人であって奥さんがそれにまた従順であったとすると誰がそれを抑える人になるでしょう?すべて私の考えが正しいと思う事になります。僅かな邪のエネルギーはこうして増幅していくのです。

病気で死ぬのでは無く精霊を弱らせてそれが体にも及び自分の体でほんの僅かな負の情報エネルギーを増幅につぐ増幅をさせて臓器にまで及ぶほどエネルギーを大きくさせておきながら他人のせいにしてしまいがちなのである


気功により負のエネルギーを無くすだけでなく他の意見も認める事で更に自分の精霊に強いエネルギーを与えることになります。

死期が近づいたと感じて来たなら自分の精霊との対話をしましょう。それには今の段階での気の修練が必要です。日常的な生活で気を消耗して霊に対して思うようにならないようでは死ぬことの意味がつかめないでしょう。
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