神奈川の鶴巻温泉治療院は医師も推薦する気功治療院です。

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自分で病気を知る難しさ

自分で己の健康状態を知る事がいかに難しい事であるかについてのお話です。
自分の感覚受容器が臓器や各器官に張り巡らされているのだから分かりそうに思いがちですが現実はほとんど不可能に近いです。ある治療家の先生が食生活に注意をして野菜中心の食事と運動をして規則正しい生活を患者さんに健康自慢とともに患者さんに生活指導してたそうです。

ところが健康自慢だったのが体調不良を感じて病院にいって診てもらったところがんが判明してショックを受け、健康自慢だった分だけに落胆も大きかったそうです。
icon42.gifまずは言葉の説明であるが「健診」と「検診」の違いがあります。「健診」とは健康診査の略語で総合的にチェックして治療を必要とする病気がないかあるいは要素を持っていないかを総合的に判断するものです。5_06.png
「検診」とは大腸がん検診胃がん検診乳がん検診とか明確な目的を持って検査をすることを意味します。

ですのでここでの使う言葉の検査は「検診」と意味として使います。特に症状が無く患者さんとの立ち位置に無い方で「検診」を受けられる方は何らかの病気に対して早期発見早期治療を目的として検査を受診される事だと思われます。

がん等は発見時期がその後の予後に大きく関係してきますので早期に見つける事さえできれば限局的な為に手術になった場合でも浸潤破壊も比較的少なくて済みます。

ただ何でも早期に発見できたから助かる確率が高いとも限らないがんもあり、発見した部位により予後不良の可能性が高いがんもあるのが現実です。


検診はデータ集めにしかすぎません。データが示した体の状態で病気を推察していけるのです。データは少ないよりも多い方が病気を特定しやすくなります。doctor_xray_rentogen.png ですからたった一つのデータでは安易な確定診断はできないのです。

数値には個人差があり年齢差があり、男女差があり、地域差等様々な物が影響してきます。血圧でいえば高年齢の女性で最高血圧が60しかない方がいましたが日常生活に問題もなくご高齢なりに家での生活をされています。

尿にタンパクが腎機能に問題がないのに時に出る方もいます。個人差はかなり大きなものと言えます。

こうした事も合わせて検診を積極的に受診する事でデータの種類や時期などでの変化を知る事が自分の普段と気になるレベルとの違いを分ける事だできるのです。
icon43.gif健康診断で異常ないと結果が出た場合でも安心はできません。
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以前おもいっきりテレビの番組でコメンテータの方が検診を受けて健康体と太鼓判を押されて喜んでいたのがその後すぐに亡くなられて、みのもんたさんが「あの太鼓判は何だったんでしょうかね」「三文判だったんでしょうか」と独特の話術で語られていた話を思い出してください。

腫瘍マーカでは参考程度にしかなりませんし、肝機能にしてもある程度組織が壊れてきてから数値に出てきますので、数値がたいして悪くないだとか等と言っていたら高い数値になった時には相当肝細胞が破壊されて肝硬変、肝がんに移行してしまいます。

数値がすべて正常であっても安心はできません。脂肪肝、高脂血漿が正常であったとしても肥満があった場合は数値に出ていないだけなのです。ですから減量が必要になってきます。

がん検診であってもごく小さながんは発見できませんし、大腸がんの便の血液反応も丁度出血があったタイミングで検便が行われるとも限りません。

セカンドオピニオンでの検診で発見もあり時期も含めてのタイミングや運命的なものに命がかかっている部分がなくもありません。

検査が安心する事が出来ないのになぜ検査を勧めるのか?検査は通過点でしかありません。その時には「異常なし」という安心にもならないが現代医学での一つの判断を受け取ったと考えて日々体に注意を払うできでしょう。

小さながん細胞が大きくなると加速度的に増殖が始まるのは多くの方が知っています。

自覚症状がない、定期的な検診も毎回すべて正常、でも体に常に気を配り、無理をせずに体に極端な負荷をかけずに検診を受け続ける事が油断大敵の健康格言ではないでしょうか?

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同じ検査結果であっても医師によっては見解が分かれ正常とみるか異常とみるかの違いもあります。medical_igan.png
まして患者さんは肝機能を例にした場合まだ私のは黄色信号だからとか深刻に出来事を事実として受け止めずに自分の価値判断で検診結果を聞き流してしまう場合もあります。

基本的に体に注意を払い過ぎた為に病気が悪化した等はあまり聞いた事はありません。注意を払わなければ歩いていて転んだり物にぶつかったり等のリスクが高くなるのです。

専門家の意見を聞く事がよいでしょう。やはり専門家は患者さんの病気に対して基本的には不利益になる事は言いません。その為「お酒を控えてください」「たばこは止められた方が望ましいです」「体重は落とされてみてはいかがですか」と患者側からみて一般論的な事を言う耳の痛い事をいう先生だと思われるかも知れませんが。

さらに上に自分を置くようになると医師の意見よりも自分の徹底した自己管理のレベルに到達します。
食事、睡眠、生活に対して自然界にルールに従い模範的な自然の生活を続ける高度な生活です。そうしていても常に完璧などはあり得ないのですから健康に過信をしないで検診などを定期的に受けている健康におごる部分が無い方です。

そうしたレベルにあれば医師や健康診断結果に対して依存の部分が無く健康に自立した生活が生まれます。自然に寄り添った生活とは何でしょう?それは規則性です。規則性のあるこの地球のルールに従った生活です。月には新月満月等この地球には規則性が山の様にあり、満潮干潮、冬至夏至、等などがあり、体と無関係ではありません。体こそ自立神経で決められたルールで生かされています。

そこでルールから外れたがん細胞がアポトーシスとして死んでいく仕組みが出来上がっています。
icon45.gifそうか医師に依存した形の健康管理から自分自身の自発的な健康管理をすればよいのかと思うのは簡単ですが現実はそうは上手く事は運びません。

感覚の受容体が個体により均一で無い事は容易に想像できますが、そもそも根底から事象の認識が違います。よく出来事は同じであってもそれぞれのフィルターで見ているので考える事が違ってくると言いますが、個々のフィルターとかフレームがかかって物事を見ているとか一般に言われています。

これは一つの情報の入力が同じであってもそこからの認識が違っているとの説明ですが、実際は最終段階でのその人の認識を言っているのであって、その中間の伝達作業を全部飛ばしての原因と結果しか言い当てていません。

実際は身体の中で【伝言ゲーム】が行われています。何段階も経て認識が行われているのでピュアな情報そのものが不可能に近いのです。真に自然健康体に近い方で自然情報と認識できているのです。

指先の感覚でもその日により違いがあります。前の日に水を多量に飲んだりした場合手のひらが腫れぼったい時があります。この時は指先も腫れぼったいので指先の感覚も通常よりも落ちています。つまり細胞内液細胞外液の水分量に感覚に違いが出るのです。

個体の違いもあります。私の家では私が包丁を時々砥石を使って砥いでいますのでよく切れます。しかし妻は砥いであるのと砥いで無いのとが違いが全く分からないのです。切れる包丁を使うと分かりそうなものであるが分からないのです。

私は子供の頃に畑に行ってカマでトウモロコシ畑でトウモロコシを刈って耕運機に乗せたりして運んだ入りしました。畑に行く前に井戸で数本のカマを砥いで行きます。1本では刈っている途中に切れなくなるので数本砥いで行きます。kama1.png
それから畑に行って刈り始めて切れなくなると次のカマを交換して切って行きます。途中にまたバケツに入れた水と砥石で畑の中で砥ぐ作業をします。すると切れ味が戻ってきます。井戸で入念に砥いだ刃は長持ちしますが、畑で短時間に砥いだ刃は研いだ時は切れるのですが切れなくなります。

こうした事で刃物の砥ぎは得意で鍼灸の【三稜鍼】も時々オートクレーブにかける前に砥石で研いでいますので切れ味抜群です。

私は切れ味にこだわりますが妻はこだわり以前の違いが分からないのです。私の患者さんで金物屋さんがいてその人に砥いでもらって包丁を使ってもらっても全く違いが分からないのです。

私は大学時代に皿洗いのバイトをした事があります。日本料理屋でしたが、料理で包丁を使うのは少しであっても終わったら毎回毎日包丁を砥いで切れ味を保っていましたのを覚えています。houcyou.gifそこでは皿は裏を洗う事を学びました。表は洗っても裏は入念に洗わないケースがあり「洗った食器の全部洗いなおし」をさせられた事が最初の頃はあり、ピカピカの調理場でした。アルバイトで食器は裏を洗う事を学びました。これは大変役に立ち、今でも私が家庭の鍋の裏をクレンザーと数種類の磨きタワシを使い時々磨いているのはその為です。

治療の話に戻ります。患者さんは痛みとか不定愁訴とか最終段階での苦痛の段階で受診します。しかしすでに伝言ゲームの結果しか感じてはいません。途中の様々な問題をすっ飛ばしてと言うよりも元々が認識できないのです。

気の不足や邪気の蓄積それに伴う自立神経系の歯車の崩壊の違いが全く分からないのです。労倦があったりしても分かりません。元々疲労と東洋医学で言う労倦との違いも分かりません。自己免疫力の低下も分かりません。

ぜひ治療家にまかせて頂きたい、治療家のこだわりのレベルにもよるが少なくても患者さんの数倍いや数十倍の感覚を職業としているからには持っている筈です。
職業になると職人として町工場の職人は100分の1ミリの違いを手だけだ触って部品を作っているのをTV等で見た事があると思います。経験とはそう言うものです。違いは分かる人しか分かりません。しかし訓練で違いが分かってきます。元々が違うものなのですから。

私は薬の資格を持っています。旧薬事法の【薬種商】という資格です。今は薬種商という資格自体が改正薬事法で無くなりましたが試験はかなり難しく合格率はひと桁の試験でした。
その中に【検体試験】があり瓶に入った【漢方薬】【新薬液体】【新薬粉】を試験で香りを嗅いだり、瓶の中を斜めにして薬の動きを観察して答案用紙に薬品名を記入するテストがありました。

【漢方薬】の方は特徴があるので良いのですが【新薬粉】は最初の頃は全部真っ白な粉に見えてしまい違いが分かりませんでした。しかし毎日粉を眺めている内にハッキリと違いが分かるようになりました。元々が違う物質なのですから観察を繰り返していると結晶の大きさや形にごく僅かな違いがあり微妙な光沢やら僅かな特徴が見えてくるのです。これは違いが分かるまで真剣に繰り返すしかありません。

医者は検査結果を判断するのが職人でしょう、しかし結果が前提になっているので結果は起こってしまっている肯定にしか過ぎません。seitaishi_man.png私治療家は経験で患者さんには分からない感覚の世界や信じがたい感受性を持っているのです。



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